やっとFLIX6月号、入手できました~
やっぱり買って良かった
大友監督インタビューに知りたかったことがズバリ書いてあるんだもん。
Amazonも楽天ブックスも売切れで、書店にもないので
ネタバレ書いときますね。
(ちなみにローソン系列のエルパカBOOKSには在庫ありました)

まずはみんなが気になっている、あのアドリブについて。
スタジアムのところで昔の写真を見せられて
「痣なんてなかったよ」って言うところ。

「ニノ君と僕以外、周囲のスタッフは皆、そのアドリブの意味に
最初は気づかなかった。
一瞬何のことだか分からなくなるセリフなんですよ。
シフトぶりが凄くて論理的じゃないから。
検討してみると、とても深い。
脚本上、あそこのセリフは難しかった。
撮影直前にニノ君と話していた時、
『例えばさ・・・』と彼がいくつかの案を挙げた中で、
僕は『痣』に反応し、なるほどリュウの想いが伝わると思った。
そして本番、ちょっと違う形で出てきたアドリブなんです。
リュウが描いていた早樹の絵の中には、最初痣があったんです。
ところが、自分達は殺されるかもしれないという恐怖を共有して、
浅間が見つけることになる事件解決の鍵“モーグル”を
絵の裏に隠したじゃないですか。
いわば、2人は“遺書”として、痣を消したとも言える。
彼女は痣を嫌って、人前に出ることが出来なくなったのかもしれない。
そんな彼女の想いを汲みながら、痣そのものも含めて、
リュウは早樹のすべてを受け入れていた。
だから『痣なんてなかったよ』というセリフには、
最後に過ごした2人だけの時間、そこで残した2人の願い、
『痣なんて僕にとっては初めから問題じゃなかったんだよ』という、
早樹に対する愛しさが込められている。
僕達が残した遺書に気づいてよ、というリュウの無意識の意を
表わしながら、最後の瞬間の永遠性をも表していますよね。
理屈で考えてしまうと、プロデューサー含め周囲は皆、
気づかないですよ。
つまり痣はあったのに、何あのセリフ?と首を傾げるんですが、
リュウの気持ちとしては、最後の時を過ごした想いが伝わるでしょう」

大友監督が自らのドラマに引き寄せるため、
とことんこだわり続けた、もうひとつの作業。
それは原作を映像化するにあたり、どう解釈し再構築するかという
プリ・プロダクションだった。叩き台として存在した脚本の時点で
すでに換骨奪胎はなされていた。
水上が男性から女性へと改変されていたことに、大友は注目する。

「すでに女性にした方がいいという考え方は持ち込まれていた。
なぜ変えるのか、自分なりに探っていきました。
神楽と早樹を生んだベースって一体何だ?
2人をくっつけて、この物語のキーであるDNA解析システムを
立ち上げた人間とは一体誰だ?
すべてを生んだのは水上さんなわけですよ。
するとね、僕の中では母性の物語になってきたんです。
水上先生を女性にした時に、母性の暴走、母性の狂気というテーマが
見えてきて、DNAは何処から来たのかということも含め、
たどり着くのはある種の母性であり、その母性によって引き起こされた
事件だと分かってきた。善かれと思ってやったはずなのに、
違う方向へ向かってしまった出来事。
母性の抱える狂気と慈愛みたいなものと、
その相反するものが巻き起こした、
非常に複雑な物語に出来ると考えたんです。」

表向きはニノとトヨエツが撮影現場で化学反応を起こす
近未来ドラマだが、その裏で進行しているのは
母性に惹きつけられながら、実は操られていた青年の
悲哀に満ちたストーリーである、と大友は捉えていた。

「なるほど逃げる場所がなくなった天才科学者の元を辿れば
父性を亡くしたことから始まっている。
二重人格者である彼の淋しさ。しかも自分の才能の無さ。
父の死の理由の本当のところは分からないけれど
おまえですらそうなのかと、父親に謎かけをされた。
もしかしたら自分のせいで死んだんじゃないか・・・と
リュウは思ってしまう。
淋しさとか辛さとか、解けない答えに耐え切れなくて
リュウはもう一つの人格である神楽を作った。
ということは、人生からの“逃避”の物語でもあるわけですよ。
神楽からリュウへの手紙で言わせている。
僕らは逃げて生きていただけじゃないか、と。
つまり父親を亡くした淋しさから2つの人格が生まれた。
その人格が逃げた先は、大きな構造としての母性なんですね。
母性に擁護された瞬間、早樹と出会わされて、
彼の才能が発揮され、あるシステムを作った先に、
ぬくぬくとした母親の繭の中で彼がやった出来事は何を生んだか?
ある種の母親の暴走だったわけです。
これは、母性から飛び出して行こうとする、自立しようとする、
孤独な青年の物語であると。
神楽の成長ストーリーと併せつつ、しかも二宮くんという30歳直前にして
あんなにも若々しい彼が、どのように母性を振り切って大人に
なっていくんだろうというイメージと重ね合わせつつ、
ドラマを成立させたいと考え、この映画を作っていきました」

父性を喪失し、たどり着いた母性に依存したものの、
その母性によって少年は支配される。
そのことに気付いた彼は母なる存在にどう向き合うのか。
少年の成長過程において不幸にも屈折してしまった精神構造こそが
原作とは決定的に異なる映画『プラチナデータ』のエモーショナルな
骨格部分だ。


 この後、大友監督の母性というキーワードは龍馬伝でも見られた、
ということや、女性が男性的になっているという話も展開され、
最後の締めくくりの文章が・・・

映画『プラチナデータ』は居心地のいい羊水から飛び出して
自我を確立するドラマである。
もっと正確に言えば、“母親殺し”の神話だ。
父を失って混乱し、自らを分裂させることで漂流して
生き延びた儚い青年が、愛する女性や庇護してくれる女性を失い、
とうとう母性までも葬り去ることで成長を遂げ、
最終的には第3の人格に到達する物語なのだ。


うーっこの最後の文章、第3の人格って何だ
父を亡くした孤独で弱かった青年でもなく、
数学において天才的才能を発揮した操り人形でもなく、
“逃げない”自分を確立した男になったってことだよね。
(と私は思いました)

FLIX読んで、すごくすっきりした
ここに書いたのは全体の半分くらいなので、
まだまだ他の部分も読みたい方はぜひ一読を
エルパカBOOKS→FLIX(フリックス)2013年 6月号
Amazon→FLIX(フリックス)2013年6月号(マーケットプレイスのみ)


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